この記事の見どころ
1989年にN.W.Aを脱退したIce Cubeが、1991年のアルバム『Death Certificate』のラストトラックとして放ったディストラック。かつての仲間Eazy-E・Dr. Dre・MC Ren・DJ Yellaと、白人ユダヤ系マネージャーJerry Hellerによる財政搾取を告発しながら、メンバー全員を徹底的に罵倒する。「Vaseline(潤滑剤)なし」は性的侮辱のメタファーであり、「搾取されて何の保護もなく犯されている」という意味を持つ。単なる個人的怨恨ではなく、黒人アーティストが白人業界権力者に搾取される構造への怒りが底流にある。
1991年10月リリースの『Death Certificate』収録。プロデューサーはSir Jinx(Ice Cubeの従兄弟でもある)とIce Cube本人。Brick「Dazz」(1976年)のファンクループとThe Gap Band「Humpin'」のリフを骨格に、N.W.A自身の楽曲からのサウンドバイトを無数にサンプリング——かつての仲間たちの声を切り刻んで嘲弄する手法は「音による処刑」と評された。BPM 105のグルーヴィーなミッドテンポは、リリックの暴力性と鮮烈なコントラストを形成している。
Ice Cubeは1989年末、印税の不平等分配をめぐってN.W.Aを脱退。翌1990年にThe Bomb Squadとともに制作した『AmeriKKKa's Most Wanted』でソロデビューし、商業的・批評的に成功を収めた。一方N.W.Aは1991年のEP『100 Miles and Runnin'』と同年のアルバム『n***az4Life』でCubeを暗に中傷——特に「Message to B.A.」でDr. DreとMC RenがCubeを名指しで批判した。これを受け、Ice CubeとSir Jinxが制作したのが「No Vaseline」である。「これで終わりじゃない」という怒りの蓄積が、アルバム最終トラックとして解き放たれた。
★ N.W.Aの声を武器に——サンプリングによる告発
Damn / Forgot to do somethin', let me see, uh
Oh, yeah— it ain't over, motherf**kers
くそ、何かやり忘れてたな、えーと……
ああそうだ——まだ終わってないぞ、野郎ども
[Sampled NWA voices, various:]
"Ice Cube writes the rhymes that I say" / "That punk Ice Cube—" / "Cube was suckin' so much New York dick"
"N.W.A. ain't s*** without Ice Cube"
F*** all y'all
〔N.W.Aメンバーの声をサンプリング〕
「Ice Cubeが俺のライムを書いてた」/「あのチキンヤロウのIce Cube——」/「CubeはNYのケツを舐めすぎ」
「N.W.AはIce Cubeなしじゃクソだ」
お前ら全員くたばれ
★ 「硬派だったお前らが軟化した」——N.W.A全体への攻撃
Goddamn, I'm glad y'all set it off
Used to be hard, now you're just wet and soft
ちくしょう、お前らが先に仕掛けてくれて正直助かったぜ
昔はハードだったのに、今やただのヘタレじゃないか
First you was down with the AK
And now I see you on a video with Michel'le
最初はAKを持ち出して威張ってたくせに
今じゃビデオでMichel'leとイチャついてる姿が見える
Looking like straight bozos
I saw it coming, that's why I went solo
完全にピエロみたいに見える
こうなると思ってたから、俺はソロに転向したんだ
And kept on stompin'
そして俺は踏み続けた(前進し続けた)
While y'all motherf**kers moved straight outta Compton
Living with the whites / One big house and not another n***a in sight
お前らはコンプトンを出て白人の街に移り住んだ
でかい家に住んで、周りに黒人は一人もいない
I started off with too much cargo
Dropped four n***as, now I'm making all the dough
最初は荷物が多すぎた
4人を切り捨てたら、今は俺が全部儲けてる
White man just ruling / The N***as With Attitudes? Who you foolin'?
Y'all n***as just phony
白人が牛耳っている——「態度でかい黒人ども」だと? 誰を騙してるんだ?
お前らはただのフェイクだ
I put that on my mama and my dead homies
俺は母親と亡くなったホーミーたちに誓う
Yella Boy's on your team, so you're losing
Ayy, yo, Dre, stick to producing
DJ Yellaがチームにいる時点で負け確定だ
おいDre、プロデュースだけやってろ
Calling me Arnold, but you been a dick
Eazy-E saw your ass and went in it quick
俺をアーノルドと呼んでいたが、お前こそずっと最低野郎だ
Eazy-Eはお前のケツを見てすぐに突っ込んだ
You got jealous when I got my own company
But I'm a man and ain't nobody humping me
俺が自分の会社を持ったら嫉妬しやがって
だが俺は男だ——誰にも犯されない
Trying to sound like Amerikkka's Most
You could yell all day, but you don't come close
「Amerikkka's Most Wanted(指名手配)」のように聞こえようとしているが
どれだけ叫んでも、俺に近づきもしない
'Cause you know I'm the one that flow
You done run a hundred miles, but you still got one to go
なぜなら本当にフローできるのは俺だとお前ら自身がわかってるから
百マイル走ってきたのに、まだあと一マイル残ってる
★ 核心——「潤滑剤なしで犯されている」
With the L-E-N-C-H M-O-B
And y'all disgrace the C-P-T
'Cause you're getting f***ed out your green
By a white boy, with no Vaseline
Lench Mobと一緒に
お前らはコンプトン(CPT)の恥だ
なぜなら白人野郎に金(グリーン)をむしり取られている——
潤滑剤なしで犯されながら
Now you're getting done without Vaseline
Now you're getting done without Vaseline
Now you're getting done without Vaseline
Damn, it feels good to see people, on it
今、お前らは潤滑剤なしでやられている
今、お前らは潤滑剤なしでやられている
今、お前らは潤滑剤なしでやられている
くそ、人がそういう目に遭うのを見るのは気持ちいい
★ 搾取の構造——Jerry Hellerへの告発
The bigger the cap, the bigger the peeling
Who gives a f*** about a punk-ass villain?
帽子が大きいほど、剥がされるのも大きい
チキン野郎の悪党なんか誰が気にするか?
You're getting f***ed real quick
And Eazy dick is smelling like MC Ren's s***
お前らはあっという間にやられてる
EazyのチンポはMC Renのクソの匂いがする
Tried to tell you a year ago
But Willie D told me to let a ho be a ho, so
一年前に言おうとしたんだが
Willie Dが「売女は売女のままにしておけ」と言ったから
I couldn't stop you from getting ganked
Now let's play big bank take little bank
お前らが騙されるのを止められなかった
じゃあ今度は「大きい銀行が小さい銀行を飲み込む」ゲームをやろうじゃないか
Tried to diss Ice Cube, it wasn't worth it
'Cause the broomstick fit your ass so perfect
Ice Cubeをディスしようとしたが、無駄骨だった
なぜならお前のケツにはほうきの柄がぴったりだから
Cut my hair? Nah, cut them balls
'Cause I heard you like giving up the drawers
俺の髪を切れだと? いや、お前の金玉を切れ
お前はパンツを差し出すのが好きだと聞いたぞ
★ Jerry Hellerへの直接攻撃
Gang-banged by your manager, fella
Getting money out your ass like a motherf***ing ready teller
マネージャーにギャングレイプされてる、おい
ATMみたいにお前のケツから金を引き出してる
Giving up the dollar bills
Now they got The Villain with a purse and high-heels
金を差し出して
今やヴィラン(MC Ren)はハンドバッグとハイヒールを持つ羽目に
So don't believe what Ren say
'Cause he's going out like Kunta Kinte
But I got a whip for you, Toby
だからRenの言うことを信じるな
なぜなら奴はクンタ・キンテのように出て行く羽目になるから
だが俺にはお前のためのムチがある、Toby
Used to be my homie, now you act like you don't know me
It's a case of divide and conquer
'Cause you let a Jew break up my crew
昔は俺のホーミーだったのに、今は知らないふりをする
これは分割統治の典型例だ
なぜならユダヤ人に俺のクルーをバラバラにされたから
House n***a gotta run and hide
Yelling Compton, but you moved to Riverside
「ハウスニガー」は逃げて隠れなければならない
コンプトンを叫んでいるが、リバーサイドに引越した
So don't front, MC Ren
'Cause I remember when you drove a B210
だから見栄を張るな、MC Ren
なぜならお前がB210(ボロ車)に乗ってた頃を覚えてるぞ
Broke as a motherf***ing joke
Let you on the scene to back up the first team
冗談のようにカネも何も持っていなかった
メインチームの後ろで控えとして出させてやったのに
It ain't my fault, one n***a got smart
And they ripping your asshole apart
俺のせいじゃない——一人が賢くなって(Cubeがソロに転向して)
今やお前のケツは引き裂かれている
Oh, yeah, The Villain does get f***ed with no Vaseline
そうだ、ヴィランは潤滑剤なしでやられているんだ
★ 最終章——「大統領とは食事しない」
I never have dinner with the president
I never have dinner with the president
I never have dinner with the president
And when I see your ass again, I'll be hesitant
俺は大統領と食事なんかしない
俺は大統領と食事なんかしない
俺は大統領と食事なんかしない
そして次にお前に会っても、俺は近づかないだろう
Now I think you a snitch
Throw a house n***a in a ditch
Half pint b****, f***ing your homeboys, you little maggot
今はお前がスニッチ(密告者)だと思ってる
ハウス・ニガーを溝に投げ捨てろ
ちびの売女、ホーミーを裏切るウジ虫野郎
★ 最も物議を醸したライン
Eazy-E turned faggot
With your manager, fella
F***ing MC Ren, Dr. Dre, and Yella
Eazy-Eはマネージャーと一緒に同性愛者になった
MC Ren、Dr. Dre、Yellaとやってる
But if they were smart as me
Eazy-E would be hanging from a tree
With no Vaseline / Just a match and a little bit of gasoline
だが奴らが俺と同じくらい賢かったら
Eazy-Eは木から吊るされていただろう
潤滑剤なしで——マッチと少しのガソリンだけで
Light 'em up, burn 'em up, flame on
'Til that Jheri curl is gone
火をつけろ、燃やし尽くせ、炎よ
ジェリーカール(パーマ)が消えるまで
On a permanent vacation
Off the massa plantation
永遠の休暇に出た
奴隷主のプランテーションから抜け出して
Heard you both got the same bank account
Dumb n***a, what you thinking 'bout?
お前らふたり(EazyとHeller)が同じ銀行口座を持っていると聞いた
バカ野郎、何を考えてるんだ?
★ Jerry Hellerへの最終通告
Get rid of that devil real simple
Put a bullet in his temple
'Cause you can't be the N***a 4 Life crew
With a white Jew telling you what to do
その悪魔を排除する方法は簡単だ
こめかみに弾丸を撃ち込め
白人ユダヤ人に指図されながら
「N***a 4 Life(永遠の黒人)」などと名乗れないだろう
Pulling wools with your scams
Now I gotta play The Silence of the Lambs
With a midget who's a punk too
Tryin' to f*** me, but I'd rather f*** you
詐欺で目を塗らせて
今や俺は『羊たちの沈黙』を演じなければならない
チキンのチビ野郎と——
俺をやろうとしているが、やられるのはお前の方だ
Eric Wright
Punk, always into something, gettin' f***ed at night
By Mister s**tpacker / Bend over for the goddamn cracker
No Vaseline
Eric Wright(Eazy-Eの本名)
チキン野郎、いつも何かやらかして、夜はやられてる
ミスター・クソパッカーに——くそ白人野郎のために腰を曲げろ
潤滑剤なしで
Motherf***in' nosejob havin'-ass
Motherf***in' Jheri Curl light, Ambi wearing motherf***in' b****
鼻整形してるクソ野郎
ジェリーカールライト(髪型)をした、Ambiクリームを塗ってるクソ売女
N.W.Aとの決裂の経緯:Ice Cubeは1987年頃からN.W.Aの主要ライター・ラッパーとして活動し、「Straight Outta Compton」「Gangsta Gangsta」など代表曲の多くを手がけた。しかし1989年末、Jerry Hellerとの契約内容を弁護士に精査させたところ、印税配分の著しい不平等が発覚。Cubeは数万ドル規模の未払い印税を主張し、話し合いが決裂してグループを去った。
Nation of Islamの影響:N.W.A脱退後、Ice CubeはNation of Islam(イスラム国家)に傾倒し、指導者Louis Farrakhanの思想に強く影響を受けた。「No Vaseline」で展開される「白人ユダヤ人による黒人搾取」という構造認識はFarrakhanの言説と重なり、当時から反ユダヤ主義的として批判された。Ice Cube自身は「個人(Heller)を批判しているのであって民族を批判しているわけではない」と主張したが、論争は続いた。
ヒップホップ・ビーフの文法:この曲が登場した1991年当時、ヒップホップにおけるビーフ(喧嘩)は「リリック上の戦い」として確立しており、暴力的・性差別的・同性愛差別的な表現は「男性性の誇示」と「相手の男性性の否定」という文法の中で機能していた。現在の視点では多くの表現が批判対象となるが、当時の文化的文脈の中で楽曲を理解することも重要である。
Sir Jinxとの共同制作:ビートはIce CubeとSir Jinx(本名Antonio Henderson)が共同制作。Sir JinxはDr. Dreの従兄弟でもあり、Ice CubeのソロデビューアルバムのNY録音時にも同行した長年のコラボレーター。Brick「Dazz」(1976年)の重厚なファンクループとThe Gap Band「Humpin'」のリフが骨格を形成。
N.W.A自身の声をサンプリング:イントロでN.W.Aの楽曲・インタビューから切り取った音声が使われている。かつての仲間の声を武器として彼らに向けるこの手法は「音による処刑」と評され、サンプリング文化の最も創造的な応用例のひとつとして語り継がれる。
「やり残し」としてのアルバム収録:Sir Jinxの証言によると、「No Vaseline」の原型はソロデビュー時にはすでに存在していた。しかし当時のCubeは「ソロとして成功し、十分満たされていたからディスをする必要がなかった」として発表を保留。N.W.Aが『100 Miles and Runnin'』でCubeへの中傷を始めた後、反撃として正式レコーディングされ、アルバム最終トラックに収録された。
「史上最高のディストラック」:Rolling Stone、Complex、XXL等の主要音楽メディアが「史上最高のディストラック」ランキングで繰り返し1位に挙げる楽曲。ライムの技術、ビートの質、告発内容の具体性、そして感情的な訴求力が均衡した傑作として評価されている。
ビーフ文化の教科書:後世のラッパーへの影響は計り知れない。Jay-ZとNasのビーフ(2001年)、Kendrick LamarとDrakeのビーフ(2024年)など、その後のあらゆる大型ビーフで「No Vaseline」は参照点となっている。Kendrick Lamar自身も「Like That」「Not Like Us」でドレイクを攻撃した際、この曲が比較対象として挙げられた。
N.W.A内部へのダメージ:曲の発表後、N.W.Aのメンバー間にも亀裂が生じたとされる。Eazy-EはDr. Dreに対してイライラを募らせ、1996年のDreの脱退に至る内部崩壊の遠因の一つとなった。「分割統治された」という構造分析は、皮肉にも予言として機能した。
Eazy-Eの早逝と和解:Eazy-EはHIV/AIDSにより1995年に逝去。Ice CubeはEazy-Eの死後、過去のビーフについて複雑な感情を示した。「No Vaseline」は純粋にビジネス上の怒りから生まれた楽曲であり、個人的な憎悪ではなかったと述べている。
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No Vaseline / Death Certificate
Ice Cube
Ice Cube
South Central Los Angeles, California · 1986–
本名O'Shea Jackson。N.W.Aの主要ライターとして「Straight Outta Compton」(1988)を手掛け、1989年に脱退。ソロ作「AmeriKKKa's Most Wanted」(1990)でデビュー。「The Predator」(1992)はLA暴動直後に全米ポップ・R&Bチャート同時1位を記録した。