Mobb Deep「Shook Ones Pt. II」の制作と評価を掘り下げる。なぜ「Pt. II」が決定版になったのか、長年謎だったあのピアノループの正体(Herbie Hancock「Jessica」)、Top R&B/Hip-Hop Albums最高3位、8 Mile、そして「ラップの試金石」と呼ばれるまでの軌跡。
Shook Ones Pt. II は、リリックの密度もさることながら、出来上がるまでの経緯とその後の評価のされ方が、それ自体ひとつの物語になっている。曲ページではスラングと言葉遊びを精読したので、こちらでは「どう作られ、どう語り継がれたか」を分けて掘り下げてみたい。
タイトルが「Pt. II」なのは、文字通り Pt. I が先にあったからだ。1994年の「Shook Ones」(=Pt. I)は、いま誰もが知るあのピアノループとはまったく別のビートで、これが大きくは跳ねなかった。
そこでHavocがビートを丸ごと差し替えて作り直したのが、この Pt. II です。Havoc本人は、前作『Juvenile Hell』があまり売れなかった不安から、作り直しに動いたと話しています。
結果として、95年の『The Infamous』に収まったこちらが決定版になりました。同じ曲の作り直しで歴史が変わってしまうのが、いかにもヒップホップらしい逆転だと思います。
ビートを作ったのは、クイーンズブリッジ・ハウジズにあるHavocの寝室です。ドラムはAkaiのMPC60で組み、ほかのサンプルはEnsoniqのEPS-16 Plusで鳴らしたと伝えられています。
Havocは、このビートを消してしまう寸前だったとも話しています。Prodigyに説得されて残したのが、いまの形です。
録音は1994年にニューヨークのBattery Studiosで行われ、1995年2月7日に『The Infamous』のリードシングルとして出ました。レーベルはLoud RecordsとRCA Recordsです。
Pt. II のあの不穏なピアノループ。これが何をサンプリングしているのか、長年ヒップホップファンの間で謎だった。最終的に、Herbie Hancockの「Jessica」(1969年のアルバム『Fat Albert Rotunda』収録)のわずか数秒をピッチダウンし、チョップして引き伸ばしたものだと判明している。
浮遊感のある美しいジャズの旋律を、サンプラーの粗い質感で、息の詰まる「QBの空気」へ変えてしまったHavocの手腕。ほかにも、ストリングスにQuincy Jones「Kitty with the Bent Frame」、ドラムにDaly-Wilson Big Band「Dirty Feet」が使われています。素材が何かより、どう使うか。この曲はその一番わかりやすい実例です。
曲を収めた『The Infamous』は1995年にBillboard 200で最高18位、Top R&B/Hip-Hop Albumsで最高3位を記録した。ハードコアなNYヒップホップが、メインストリームのチャート上位に届いたことを示す数字です。
そして知名度を世界規模に押し上げたのが2002年の映画『8 Mile』。冒頭のラップバトルのビートにこの曲が選ばれ、映画の主人公がこのビートでバトルに挑むものの、緊張で一言も出ないまま固まってしまう、あの有名なオープニングシーンです。ここで初めてShook Ones Pt. IIを耳にした人も多い。
シングルとしては、1995年のBillboardでHot 100が59位、Hot R&B/Hip-Hop Songsが52位、Hot Rap Singlesが7位でした。
その後はMariah Careyが1997年の「The Roof (Back in Time)」でこの曲をサンプリングし、Mobb Deepも追加のラップとリミックス映像に参加しています。
評価は年を追って高まり、Pitchforkは2010年の「90年代トップ200トラック」で25位に選びました。Rolling Stone誌の「史上最高の500曲」(2021年版)にも215位で入っています。
この曲は、時間が経つほど評価が上がっていったタイプの曲だ。90年代にリアルタイムで聴いたとき、2000年代に8 Mile経由で出会ったとき、そして2010年代以降にヒップホップの歴史を振り返る文脈で再評価されたとき——それぞれの場面で、新しい意味が積み重なっていった。
ヒップホップ界では「Shook Ones Pt. IIのビートの上でラップできるか」が、一種の実力試験のように扱われることがある。それくらい、このビートと歌詞の密度は別格だ。Eminemが8 Mileでこのビートを選んだのも、そういう文脈があってのことだと思う。
Prodigyは2017年、鎌状赤血球症の合併症で亡くなった。それでも、彼が19歳で書いた「my mind is older」の一行は、いまも引用され続けています。
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